寿司と癌と生きる意味
今回は、癌にまつわるかなりメンタルなお話しをさせて頂きます。
このところ川島なお美さんの訃報や北斗晶さんの乳癌の話題でワイドショーがいっぱいですが、癌になったら考えることについて改めて考えてみました。
私の場合、舌癌の発見タイミングは「寿司」でした。正確には、寿司用の「醤油」です。
別に寿司を食べたら舌癌が分かるわけではありませんが、私の場合は舌の側面に傷ができていました。
通常なら数日、長くても1~2週間程度で治る傷です。
それが私の場合、4年間治りませんでした。
醤油が傷口に滲みることで病院に行かないと、と決断したわけです。
仕事仕事で歯医者にも行かず、だましだましいたのですがある時歯医者に行くと紹介状を渡されました。
それで大学病院に行って初めて舌癌だと言われました。(この時点では「舌癌になるの可能性」と言われました)
つい先日の更新でもお知らせしましたが、手術後100%良い状態と言う訳ではありません。
一進一退と言ったところでしょうか。
先日も、手術した辺りが痛くなったので、すごく不安になり病院へ検査に行ってきました。
手術した部分を触っていたこともあり、若干出血していました。
病院で診て頂いた結果は、「問題なし」でした。
現在の状態はこんな感じ。
手前の方の白い、というかやや茶色の部分がお腹から植皮した皮です。
皮膚の移植を植皮と言いますが、元々下だったところとの境目があります。奥側の境目が気になっています。
このあたりは皮膚が弱いのか、薄いのか、歯に当たった部分が隆起してきました。
医者曰く「よくあること」とのことなので、あまり気にしていません。
検査から数日。
子供と回転すしに行きました。
もちろん、私も寿司を食べました。
醤油も滲みませんでした。以前のことがあるのでナーバスになっていたようです。
でも、やっぱりほとんどの人はそれくらいナーバスになると思います。
なぜなら、その先にあるのは「命」だから。
北斗晶さんもブログに書かれていますが「なぜ自分が」。
じゃあ、「誰だったらいいのか」という話ではなく、「癌」と言う物は知識としては持っている人が多いと思います。漠然となってしまったら嫌な存在として。
誰だって「死」について語るのは嫌なのです。
むしろ目をそむけて過ごしたいテーマだと思います。
しかし、「癌」だと告知された人は、その癌と向き合っていく必要があります。
私の場合は、幸い「ステージ0」でした。かなり早い発見です。ラッキーでした。
北斗晶さんの場合は、5年後生存確率が50%と言われたそうなので、ステージⅢの後期か、ステージⅣの前期くらいなのかもしれません。
つい先日退院の知らせがありましたが、本当に大変なのはこれからです。
乳房の切除手術が終わって退院と言うことなだけで、これから抗癌剤治療が始まります。
癌と命を懸けた勝負と言えます。
癌になってしまった人にも色々な人がいます。
自分が癌になってしまったことを受け入れられない人。
諦めてしまう人。
強く闘う人。
北斗晶さんは闘う道を選びました。
もちろん、私も自分の癌と向かって闘っています。
諦める人がいる一方で闘える人がいる。
その違いは何だろう、と考えました。
私の場合、諦めるという選択肢はありませんでした。
迷いも一切なく当然闘うことにしました。
改めて考えて分かりました。
守りたい人がいるということです。
私の場合、嫁であり、子供たちです。
これからも一緒にいたいですし、守っていきたい。
とても大切な存在です。
だからこそ、諦めるという選択肢はその存在すら気づきませんでした。
最近のニュースや特集で年配者の孤独死が取り上げられていましたが、家族がいらっしゃらなくて、毎日誰とも話さずひとり・・・そんな生活を続けている人は生きる意味を見失ってしまうのかもしれない、と考えました。
やはり、人はひとりでは生きられないのです。
自分が癌になることで、色々なことを考えます。
不安にもなります。
しかし、だからこそ自分の大切な人を守るために、一生懸命「生きること」を考えます。
そのために必要なことを考えます。
それは、検査だったり、健康食品だったり、食生活だったり、色々です。
皮肉なもので、「死」を考えた時に人は「生きること」に積極的になります。
闇があるから、光が目立つように、光だけでは輝いていることに気付かないのかもしれません。
最後の手術から2年。経過は悪くありません。
しかし、これからもないがしろにせず検査なども定期的に受け続けます。
似た心境の方がおられたら、心強く思ってもらえたら幸いです。
そういった方がおられたら、私も心強いです。
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