一度舌癌になると「ガン」と言う言葉に敏感になります
テレビのドラマなどでは癌の告知や手遅れの癌が見つかるシーンが割とあります。
もしかしたら、以前からそれほど変わらない頻度でそう言ったシーンがあったのかもしれません。
ところが、私が舌癌だと分かった2013年くらいから私はドラマの癌のシーン、健康番組の癌の特集、芸能人などに癌が見つかったことなどが目に止まってしまいます。
つい先日見ていたアメリカのドラマ「ボーンズ」でも骨の癌が見つかるシーンがありました。
このドラマはアメリカのテレビドラマで法医人文学者(骨の専門家)がFBIのエージェントと協力して時間を解決して行くというストーリーのドラマです。
主人公の女性は30代半ばでしょうか。
骨の専門家で本当に天才です。
ほんの少しの事象も見逃しません。
その代り天才肌過ぎて人付き合いは苦手です。
FBIエージェントは皮肉と愛情をこめて彼女を「ボーンズ(骨)」と呼びます。
そのボーンズには魅力的な助手がいます。
骨を検視する前に肉を剥がしたりする研修生がいるのです。
20代中盤から30歳くらいの男性の研修生がある日骨折します。
アメリカらしくアイスホッケーの試合中にタックルされ転倒するのです。
多くの人は単なる骨折、複雑骨折と捉え腕のギプスにのんきにラクガキをしたりしています。
ところが、ボーンズは彼のレントゲン写真から彼が骨の癌であることに気付きます。
研修医は専門医に診てもらうのですが、やはり間違いない。
ボーンズの見立てはいつも間違いはないのです。
骨の癌の生存率は番組中では10%以下とされていました。
恐らく「5年後生存率」のことを言っているのでしょう。
急に5年後まで生きている生存率は10%未満です、と言われたらあなたならどうしますか?
この研修医も最初途方にくれていました。
普段まず行くことが無いFBIの建物に行ってFBIエージェントと話をしたりします。
その後、旅行に行ってみたかったものを見て、ビールを飲んで十分に楽しみたい、と言いだしました。
時間がないので、彼は翌日には旅行に出ようとします。
エージェントは闘病を進めます。
研修医は一旦は出発するのですが、その日の夜にエージェントの家を訪れます。
やはり病気と闘う、と。
こう言った話の時は、もう私はこの研修医に感情移入しないでは見れません。
放射線治療の上、化学治療です。抗癌剤は人によってはかなり辛い副作用がでます。
この研修医は腕の切断の可能性まであるようでした。
この時点でもう「今までの健康な自分」には戻れないのです。
10%未満の可能性にかけて闘って闘ってずっとベッドの上で過ごして苦しみながら死んでいくのか。
生きていたとしても癌が完全に治る可能性は低いのです。
闘病を諦めて残された時間を楽しんで太く短く生きるのか。
通常ならばそんな辛い選択は自分の人生に出現しないと思うはずです。
ただ、実際舌癌になったことがある私には「十分起こり得る事象」として考えられてしまうのです。
おそらく他の全ての癌を経験した人がそうではないでしょうか。
自分のこと、残された家族や友達のこと、私の場合は子供のこと。
どんなに抗っても逃れられないことは存在するのです。
人は「死」を意識し始めてから一生懸命「生きよう」とするのかもしれません。
それまで当たり前にあった「生」は有限で、いつか限りがあることを意識するタイミングはありません。
私は舌癌になることでこのことに気付いたといえます。
しかも、2度も手術は受けましたが、ひとまず健康でいられています。
1日1日を大切に生きられる喜びを知っていて、感謝もしています。
もし、この研修医のように選択を迫られたとしたら、私は闘って生き抜くことを勧めるでしょう。
あなたならばどちらの道を選びますか?
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